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琉球王朝時代から作られている伝統的な琉球菓子『ちんすこう』の元祖系統のお店の一つ!【新垣カミ菓子店】(沖縄県那覇市)

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訪問日:2024年10月31日(木)

目次

ちんすこうとは

琉球王朝時代から作られている伝統的な琉球菓子の一つであり、沖縄土産の定番として大人気の「ちんすこう」。

「ちんすこう」は漢字では「金楚餻」や「金楚糕」という表記になり、その意味については「黄金色に輝き、ほどけるような口当たりの焼菓子」や「特別な席でしか食べられない高級な菓子」など、色々な情報が出てきました。

小麦粉生地でサクサクとした食感はクッキーに似ているともいわれますが、卵やバターが使われるクッキーとは異なり、「ちんすこう」の主原料には小麦粉と砂糖、そして古くから養豚が盛んで豚を余すところなく食す文化が根付いていたことから「ラード」が使われており、コクと深みがある独特な味わいが特徴。

その歴史は約200年前の琉球王朝時代にさかのぼるといわれています。

当時の琉球王朝は日本と中国との両属関係にあり、中国とは主従関係を保ちながら大貿易時代を築いてたことから、来琉した冊封使(使節団)により中国菓子の製法が伝来。

また琉球王族が日本へ渡った際には、薩摩藩の在番奉行の接遇の為に石原嘉右衛門や柳屋善太郎の両氏により日本菓子の製法を教わったとのこと。

この日中両国の菓子製法技術を取り入れ、琉球独特のお菓子を作り上げたのが、王府の包丁役(料理方)を務めていた「新垣親雲上淑規(あらかきぺーちんしゅくき)」といわれています。

当時は琉球王家御用達の貴重なお菓子だったそうで、一般にも普及し始めたのは廃藩置県後。

「新垣親雲上淑規」の孫であり、琉球菓子の作り方を伝授された「新垣淑康(しゅくこう)」が、1908年に沖縄初の菓子司として「新垣菓子店」を創業し、「ちんすこう」の販売を開始。

1932年には新垣菓子店から暖簾分けの形で、那覇市の久米に新垣淑康(しゅくこう)の六男「新垣淑扶(しゅくふ)」が現在の「有限会社新垣菓子店(新垣ちんすこう本舗)」を創業。

「新垣淑扶(しゅくふ)」は元々菊型の丸い形をしていたちんすこうを、米軍基地で使用されていたクッキーの型抜きを再利用して一口サイズの細長い形に改良し、同時にちんすこうの大量生産(オートメーション化)を確立、半透明のビニールパッケージに小分けする衛生面を考慮した方法も発案したとのこと。

現在では沖縄県を代表するお土産菓子としての認知度が高まり、新垣菓子店が出願した商標登録が認められなかったため、数多くの菓子メーカーから様々な商品が販売されており、味や形状のバリエーションも豊富。

現在、元祖である「新垣菓子店」の系統のお店は、新垣淑康(しゅくこう)の三男筋にあたる「本家新垣菓子店」と、六男・淑扶(しゅくふ)の「有限会社新垣菓子店(新垣ちんすこう本舗)」、そして七男・淑正(しゅくせい)の妻・カミが戦後の1949年に赤平の地で開業した「新垣カミ菓子店」の3店舗があるそうです。

新垣カミ菓子店

今回訪れたお店は、上述の元祖系統のお店の一つ『新垣カミ菓子店』。

以前は「本家新垣菓子店」の隣にあったようですが、2024年3月に現在地である沖縄県那覇市首里儀保町に移転したようです。

こちらのお店のお菓子は、焼失してしまった首里城内のお茶席「鎖之間」で提供されていたそうで、私もそちらで食べたことがあり、とても美味しかったのを覚えています。

オンラインショップもありますが、一度お店にも行ってみたいと思い今回初訪問。

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日本全国を巡り、ご当地グルメや郷土料理、名産を活かした料理を中心に食べ歩いています。
こちらのブログではお店の情報や味の感想だけでなく、ご当地グルメや郷土料理の特徴・歴史についても詳しく解説しております。

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