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人形町にある、『親子丼』発祥の店として有名な宝暦10年(1760年)創業の老舗!【鳥料理 玉ひで】(東京都中央区)

本サイトでは、実際に訪れた際の感想とともに、お店の基本情報や混雑状況、アクセス・駐車場情報、メニューや商品ラインアップなどを可能な範囲で調査し、記事を執筆しています。

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本記事の内容は、確認時点(訪問日・更新日等)の情報に基づいています。メニュー構成や価格、営業時間、定休日などは変更される場合があります。最新の状況は店舗公式サイトやSNS、または直接の問い合わせでご確認ください。

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訪問日:2021年10月17日(日)

目次

鳥料理 玉ひで

東京都中央区日本橋人形町にある、「親子丼」の発祥の店として有名な『鳥料理 玉ひで』。

創業は宝暦10年(1760年)という260年もの歴史がある老舗で、現在は8代目になるとのこと。

創業者は「御鷹匠(おたかじょう)」と呼ばれる、将軍家の御前で鶴を切る厳議に由来する格式の高い包丁さばきの職に就いていたそうですが、幕府の財政難に伴って生計を立てるため、副業として軍鶏鍋屋を開いたのが玉ひでの始まりだそうです。

その後3代目の時に「御鷹匠」の職を返上して軍鶏鍋の専門店として営業していくことになったとのこと。

元々は「玉鐵」という屋号だったそうですが、5代目の秀吉さんが近所界隈の人気者で「玉てつの秀さん」と呼ばれていたことから、そのまま店の呼び名として『玉ひで』になったそうです。

親子丼は明治24年(1891)年に5代目店主の妻であるとくさんの発案で誕生。

明治20年(1987年)頃に鳥寿㐂(とりすき)の〆に肉と割下を卵でとじてご飯と共に食べていた客がいて、「親子煮」と呼ばれていたそうです。

この「親子煮」を食べやすくするためにご飯の上に乗せて一品料理としたのが『親子丼』の始まりとのこと。

しかし当時は盛り切りの丼は「汁かけめし」として軽んじられたことから、出前限定のメニューとして提供されるようになり、その後お店で提供されるようになったのは7代目の頃だそうです。

Wikipediaによると、親子丼の起源には諸説あるそうで、確認できる最古の文献資料として明治17年(1884年)に神戸元町の「江戸幸」が出した新聞広告に「親子上丼」、「親子並丼」、「親子中丼」の名前が見られたそうです。

また他にも、明治36年(1903年)に大阪で開催された第五回内国勧業博覧会の目玉料理として、北浜銀行頭取からの依頼で大阪の料亭「鳥菊」の店主が考案した親子丼(鶏肉と白菜、ネギの煮込みを卵でとじてご飯に乗せたもの)が、一杯15銭で販売されて人気を博し、その後関西一円の食堂で提供されるようになったという説もあるそうです。

お店で食べるのも自分で作るのも大好きな親子丼。

その発祥のお店と聞いてとても気になり、東京で特に行ってみたかったお店です。

公式サイトによると、本店の他に姉妹店として東京ソラマチに「たまひで いちの」、大丸東京店に「から揚げ からっ鳥」、監修店として名古屋に「とり五鐵」、「やきとりてつえもん」、埼玉県の羽生パーキングエリアに「しゃも鍋 五鉄」というお店があるとのこと。

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