訪問日:2025年6月25日(水)
呉と舞鶴による「肉じゃが」発祥地論争
今では家庭料理の定番となっている「肉じゃが」ですが、ご当地グルメとして町おこしを行っている地域もあり、特に有名なのが広島県呉市と京都府舞鶴市。
それぞれが「肉じゃが発祥の地」として名乗りを上げていることから発祥地論争が勃発し、共に「肉じゃがと海軍ゆかりの街」としてライバル関係をアピールしています。
農林水産省の公式サイトには広島の郷土料理「呉の肉じゃが」として掲載されており、歴史や特徴については以下の通り。
一般的な「肉じゃが」といえば、じゃがいも、牛肉、玉ねぎをメインに、にんじんや絹さやなど家庭によって異なる具材をしょうゆと砂糖で味付けした煮物であるが、「呉の肉じゃが」はじゃがいもにメークインを使用し、牛肉、糸こんにゃく、玉ねぎと決まった具材で作られるのが特徴。
呉の肉じゃが 広島県
肉じゃがのルーツは、かつて東郷平八郎元帥がイギリス留学中に食べた「ビーフシチュー」を艦上食として作るようにと部下に命じ、調理員が当時貴重だった赤ワインのかわりにしょうゆを入れるなど試行錯誤を重ねた結果、「甘煮」が生まれたのではないかという説がある。
その作り方は当時の「海軍厨業管理教科書」に載せられていた。
その後昭和40年代に、女性雑誌で「肉じゃが」という名前で紹介されたことにより、家庭料理として普及。
東郷平八郎は明治23年に呉に赴任していたことから、「呉は肉じゃが発祥の地である」として、平成9(1997)年に「くれ肉じゃがの会」が設立。
「海軍厨業管理教科書」の作り方により近い肉じゃがを「呉の肉じゃが」としてPR活動を開始した。
京都府舞鶴市の肉じゃがの歴史については、肉じゃがで街を活性化する目的で市民有志によって結成された「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」の公式サイトに以下のように書いてありました。
舞鶴は日本海側唯一の海軍鎮守府が置かれたまちです。
まいづる肉じゃがまつり実行委員会
それは明治34年(1901年)のことでした。
海軍舞鶴鎮守府初代司令長官として赴任したのは東郷平八郎中将でした。
東郷さんは23歳から30歳までの7年間、英国に留学し国際法などを学びました。
英国で食べたビーフシチューは東郷さんの大好物となりました。日本に帰ってからもその味が忘れられなかったのです。
初代長官として舞鶴に赴任した東郷さんは、長年思い続けたビーフシチューを料理長に命じて作らせました。
しかし、当時の舞鶴には英国のようなワインやバターなどの調味料がなく、料理長は、醤油、砂糖、胡麻油で味付けをして作りました。
できあがった食べ物はビーフシチューとは似ても似つかぬものでしたが、食べたらとてもおいしかったのです。
しかも、それを食べた水兵さんたちはぐんぐん元気になっていきました。
冷蔵などの貯蔵技術のない当時は長い航海の間はビタミン不足で脚気や壊血病でたおれる水兵さんが少なくなかったのです。
おいしく栄養価の高い肉じゃがはとびっきりおいしい艦上食(軍艦での食事)として全国に広まり、やがて各家庭に伝えられ【おふくろの味】として定着していきました。
舞鶴の海上自衛隊第四術科学校の図書館には「海軍厨業管理教科書」が残っています。
その教科書に「甘煮」として書かれているのが肉じゃがなのです。
この教科書は全国で舞鶴にしか残っておりません。
これは、肉じゃがが舞鶴の海軍から始まったことを表しています。
まいづる肉じゃがまつり実行委員会はこの教科書に書かれた海軍式元祖肉じゃがを再現し、元祖まいづる肉じゃがとして後世に伝える活動を続けています。

いずれも東郷平八郎がイギリスで食べた「ビーフシチュー」を再現しようと、海軍で誕生した「甘煮」がルーツであるという説になっています。
Wikipediaによると、舞鶴市で東郷平八郎説を基に「肉じゃがの発祥地」宣言が行われたことから、その後舞鶴に赴任するより前に呉に赴任していたことを理由に、呉市も肉じゃが発祥地の名乗りを上げたことによって発祥の地論争が起きたとのこと。
しかし舞鶴や呉に赴任する前に、既に海軍ではビーフシチューが作られていたことを示す1889年の史料が存在することや、「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」が主張する海軍の脚気対策も1885年に完了しているとも書いてありました。
肉じゃがが誕生したその他の説としては、日本各地で伝統的に作られてきた「芋の煮物」や「芋の煮っころがし」などに、戦後に増えてきた肉料理が影響して現在の肉じゃがに変化したといわれています。
以上のように肉じゃがの歴史については諸説あるものの、呉市と舞鶴市ではいずれも肉じゃがで町おこしを行っていることから様々な飲食店で提供されており、ご当地グルメとして食べ歩きを楽しめるのが魅力的。
cafe jazz

今回訪れたお店は、京都府舞鶴市、美しい赤れんが倉庫が立ち並ぶ「舞鶴赤れんがパーク」の2号棟内にあるお店『cafe jazz』。
こちらのお店では旧日本海軍がまとめた料理本「海軍割烹術参考書」を元に再現された「海軍メニュー」が特徴。
当時のレシピに基づいた「海軍カレー」や、肉じゃが発祥の地といわれる舞鶴ならではの「肉じゃが丼」、海軍割烹術参考書のレシピを再現した「海軍ロール」や「海軍ラムネ」といったカフェメニューも充実しています。
今回は「肉じゃが丼」を目当てに初訪問です。
今回は赤れんが倉庫を見てみたかった思いもあり、観光後の昼食にこちらのお店を訪問。
舞鶴赤れんがパークとは

赤れんが倉庫は舞鶴鎮守府(軍港に置かれた海軍の拠点)の軍需品等の保管庫として、明治33年(1900年)から大正10年(1921年)までに次々と建てられたもの。
明治37年(1904年)に軍港学送線が開通したことにより、現存する自衛隊所有の3棟を除くすべてが倉庫内まで線路を引き込み、昭和47年(1972年)に廃線になるまで貨車等により物資を運搬していたそうです。
現存する赤れんが倉庫は、れんが造2階建11棟、鉄骨れんが造1棟があり、うち8棟が平成20年(2008年)に国指定重要文化財に指定され、平成28年(2016年)4月には「鎮守府横須賀・呉・佐世保・舞鶴〜日本近代化の躍動を体感できるまち〜」として日本遺産に認定。
平成24年(2012年)には「舞鶴赤れんがパーク」としてグランドオープンし、舞鶴のランドマークとして賑わっています。

『cafe jazz』が入っている赤れんが2号棟は、「市政記念館」としてカフェ、多目的ホール、 舞鶴の歴史の展示室、インフォメーションカウンター、遊覧船チケット売り場などを備えた人々の交流の場になっているとのこと。
元々2・3・4号棟は舞鶴海軍兵器廠の倉庫として明治35年(1902年)に建設されたれんが造2階建の倉庫で、 終戦時までは2号棟は砲銃庫、3号棟は弾丸庫並小銃庫、4号棟は雑記庫並小銃庫として使われていたそうです。
アクセス
場所は東舞鶴駅から徒歩21分くらいの距離。
駐車場はマリンボウル前交差点を北側に曲がった場所に専用駐車場があり、訪問当時は無料でしたが、2025年7月1日からは有料になるとのこと。
混雑状況
この日は平日の水曜日、お店には13時50分頃に訪問。
この時店内は客入り2割くらいで待ち時間無く入店。
メニュー・商品ラインアップ


目当ての「肉じゃが丼」は数量限定のようですが、この時まだ残っていて良かったです。
感想


【肉じゃが丼】1200円(税込)
普段肉じゃがを丼にして食べることはありませんが、甘辛でコクのある味付けの牛肉は牛丼っぽさもあり、ジャガイモはほろほろの柔らかさでよく味が染みておりご飯が進む美味しさ。
肉じゃが丼ありです!

同行者が注文した「海軍ラムネ」700円(税込)も少し味見させていただきました。
こちらは「フレッシュレモネード」と書いてありましたが、レモンティーのティーソーダみたいな味で美味しかったです。
ご馳走様でした!
公式サイト等
https://www.instagram.com/cafejazz.akarenga
食べログ
赤煉瓦カフェ ジャズ
0773-63-7177
京都府舞鶴市北吸1039-2 舞鶴市市政記念館 1F
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