訪問日:2024年3月19日(火)
白河ラーメンとは
福島県白河市のご当地ラーメン「白河ラーメン」。
明確な定義というものは無いようですが、大きな特徴としては豚骨や鶏ガラを主体とした醤油ベースの澄んだスープに、多加水の幅広縮れ麺の組み合わせ。
麺は伝統的には木の棒で麺を打ち、包丁で切り出して、手揉みで縮れを付けるという手打ち麺のスタイルですが、近年は減少傾向にあるとのこと。
具はチャーシュー、メンマ、海苔、ナルト、ホウレンソウなどが中心で、チャーシューは縁を食紅で塗り、炭火で焼いてから醤油で煮るスモーキーなタイプが多いそうです。
白河市は現在人口が6万弱くらいでありながら、市内には100軒近くものお店があるといわれており、全国的に知られるラーメン処になっています。
白河は信州、出雲、盛岡と並んで「日本四大そば処」の一つに数えられるそうで、200年以上前に藩主の松平定信が冷害に強いそばの栽培を奨励したことがキッカケでそばが根付き、主食として麺を食べる文化が浸透していったといわれています。
白河ラーメンの発祥といわれているのは、大正10年(1921年)に開店したというお店「亀源」。
初代の木伏源兵衛さんは明治中期に汁粉屋「亀屋」を開いたそうですが、夏場に客足が落ちることから、二代目である木伏源松さんは年中店を繁盛させようと横浜市で修業を積み、名前の一文字を店名に用いた手打支那そば店「亀源」をオープン。
「亀源」は40年ほどで閉店したそうですが、十数軒の白河ラーメンの指導を行ったことから、「茶釜本店」などその味を受け継いだお店が存在しているとのこと。
福島県白河市本町には「白河ラーメン元祖 亀源跡」という看板が建てられているそうです。
昭和20年代には白河に映画ブームが訪れ、見終わった後に中華そばを食べるのが流行になり、中華そばを出す屋台が増えたそうです。
飲食とは関係ない業種からも中華そばを始めるお店が増えていき、当時運送業だった「菊忠運送」は乾麺を作り始め、木伏源松さんと親類関係にあったことから「菊忠食堂(現在はラーメン処菊忠)」をオープン。
この時期にはそば打ちの技術を応用して作り始めたという、白河ラーメンの特徴の「手打ちの縮れ麺」も誕生。
白河ラーメンのトッピングに多いというワンタンを乗せるようになったのもこの時期で、「まるい食堂」というお店が始まりだそうです。
特に白河ラーメンを広めた立役者といわれているのが、「まるい食堂」で修業をしたという竹井寅次さんが昭和48年(1973年)に創業した「とら食堂」。
こちらのお店が特に美味しいと評判になり、教えを請う人に惜しみなく伝えたことから、数多くの弟子を輩出し、白河ラーメンのスタイルがどんどん広まっていったそうです。
歴史については色々なサイトでまとめられていましたが、どれも微妙に情報が異なるので、真偽はよくわかりません。
那須高原サービスエリア(下り) らーめん白河の郷
今回訪れたのは栃木県那須郡那須町、東北自動車道「那須高原サービスエリア(下り)」のフードコート内店舗『らーめん白河の郷』。
こちらのサービスエリアの下り線は、ロイヤルホストなどを手掛ける「ロイヤルホールディングス」が運営しているようです。
深夜に仙台方面への移動中に休憩で寄っていくことにしましたが、一部店舗は営業時間が限られているものの、ラーメンコーナーはありがたい24時間営業。
メニュー・商品ラインナップ
注文は券売機での食券購入。
今回はこちらの1番人気メニューである『白河ラーメン』を注文。
感想
【白河ラーメン】850円(税込)
(メニュー説明)
福島県白河市のご当地ラーメン。エリア内で作った自家製のちぢれ麺が醤油ベースのスープによく絡む一杯です。
油は控えめで口当たりはスッキリですが、コクがあるやや濃口の醤油スープ。
麺はモチッとコシがある中太くらいの縮れ麺で、美味しいのですが正直あまり「白河ラーメン」という感じはしませんでした。
トッピングは海苔、ネギ、メンマ、チャーシュー、ほうれん草、ナルトと種類多め。
今回は移動優先でそんなにのんびりは出来ませんでしたが、大好きなチーズガーデンの御用邸チーズケーキが売っていたり、また改めて寄りたいサービスエリアです。
ご馳走様でした!
公式サイト等
公式サイト
https://www.driveplaza.com/sapa/1040/1040121/2
食べログ
那須高原サービスエリア(下り線)フードコート
0287-72-1707
栃木県那須郡那須町大字豊原丙4092-2
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