訪問日:2023年12月3日(日)
呉と舞鶴による「肉じゃが」発祥地論争
今では家庭料理の定番となっている「肉じゃが」ですが、ご当地グルメとして町おこしを行っている地域もあり、特に有名なのが広島県呉市と京都府舞鶴市。
それぞれが「肉じゃが発祥の地」として名乗りを上げていることから発祥地論争が勃発し、共に「肉じゃがと海軍ゆかりの街」としてライバル関係をアピールしています。
農林水産省の公式サイトには広島の郷土料理「呉の肉じゃが」として掲載されており、歴史や特徴については以下の通り。
一般的な「肉じゃが」といえば、じゃがいも、牛肉、玉ねぎをメインに、にんじんや絹さやなど家庭によって異なる具材をしょうゆと砂糖で味付けした煮物であるが、「呉の肉じゃが」はじゃがいもにメークインを使用し、牛肉、糸こんにゃく、玉ねぎと決まった具材で作られるのが特徴。
呉の肉じゃが 広島県
肉じゃがのルーツは、かつて東郷平八郎元帥がイギリス留学中に食べた「ビーフシチュー」を艦上食として作るようにと部下に命じ、調理員が当時貴重だった赤ワインのかわりにしょうゆを入れるなど試行錯誤を重ねた結果、「甘煮」が生まれたのではないかという説がある。
その作り方は当時の「海軍厨業管理教科書」に載せられていた。
その後昭和40年代に、女性雑誌で「肉じゃが」という名前で紹介されたことにより、家庭料理として普及。
東郷平八郎は明治23年に呉に赴任していたことから、「呉は肉じゃが発祥の地である」として、平成9(1997)年に「くれ肉じゃがの会」が設立。
「海軍厨業管理教科書」の作り方により近い肉じゃがを「呉の肉じゃが」としてPR活動を開始した。
京都府舞鶴市の肉じゃがの歴史については、肉じゃがで街を活性化する目的で市民有志によって結成された「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」の公式サイトに以下のように書いてありました。
舞鶴は日本海側唯一の海軍鎮守府が置かれたまちです。
まいづる肉じゃがまつり実行委員会
それは明治34年(1901年)のことでした。
海軍舞鶴鎮守府初代司令長官として赴任したのは東郷平八郎中将でした。
東郷さんは23歳から30歳までの7年間、英国に留学し国際法などを学びました。
英国で食べたビーフシチューは東郷さんの大好物となりました。日本に帰ってからもその味が忘れられなかったのです。
初代長官として舞鶴に赴任した東郷さんは、長年思い続けたビーフシチューを料理長に命じて作らせました。
しかし、当時の舞鶴には英国のようなワインやバターなどの調味料がなく、料理長は、醤油、砂糖、胡麻油で味付けをして作りました。
できあがった食べ物はビーフシチューとは似ても似つかぬものでしたが、食べたらとてもおいしかったのです。
しかも、それを食べた水兵さんたちはぐんぐん元気になっていきました。
冷蔵などの貯蔵技術のない当時は長い航海の間はビタミン不足で脚気や壊血病でたおれる水兵さんが少なくなかったのです。
おいしく栄養価の高い肉じゃがはとびっきりおいしい艦上食(軍艦での食事)として全国に広まり、やがて各家庭に伝えられ【おふくろの味】として定着していきました。
舞鶴の海上自衛隊第四術科学校の図書館には「海軍厨業管理教科書」が残っています。
その教科書に「甘煮」として書かれているのが肉じゃがなのです。
この教科書は全国で舞鶴にしか残っておりません。
これは、肉じゃがが舞鶴の海軍から始まったことを表しています。
まいづる肉じゃがまつり実行委員会はこの教科書に書かれた海軍式元祖肉じゃがを再現し、元祖まいづる肉じゃがとして後世に伝える活動を続けています。
いずれも東郷平八郎がイギリスで食べた「ビーフシチュー」を再現しようと、海軍で誕生した「甘煮」がルーツであるという説になっています。
Wikipediaによると、舞鶴市で東郷平八郎説を基に「肉じゃがの発祥地」宣言が行われたことから、その後舞鶴に赴任するより前に呉に赴任していたことを理由に、呉市も肉じゃが発祥地の名乗りを上げたことによって発祥の地論争が起きたと書いてありました。
しかし舞鶴や呉に赴任する前に、既に海軍ではビーフシチューが作られていたことを示す1889年の史料が存在することや、「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」が主張する海軍の脚気対策も1885年に完了しているとも書いてありました。
肉じゃがが誕生したその他の説としては、日本各地で伝統的に作られてきた「芋の煮物」や「芋の煮っころがし」などに、戦後に増えてきた肉料理が影響して現在の肉じゃがに変化したといわれています。
以上のように肉じゃがの歴史については諸説あるものの、呉市と舞鶴市ではいずれも肉じゃがで町おこしを行っていることから様々な飲食店で提供されており、ご当地グルメとして食べ歩きを楽しめるのが魅力的。
田舎洋食 いせ屋
今回訪れたお店が、広島県呉市中通にある老舗洋食店『田舎洋食 いせ屋』。
創業は大正10年(1921年)、現在の店主は4代目になるそうです。
お店を取材した記事によると、創業者は日本海軍でコック長を務めた方で、洋食店「日英館」の跡地にオープンしたとのこと。
「田舎洋食」というのは東京や大阪に比べたら呉は田舎だけど、美味しい洋食を食べて欲しいという思いから名付けたそうです。
呉の有名店を調べるとこちらのお店が紹介されているのを頻繁に目にするので、以前からとても気になっていたお店、今回初訪問です。
アクセス
場所は呉駅から徒歩17分くらいの距離。
駐車場は近隣コインパーキングを利用。
3000円以上の食事で呉中央地区商店街の駐車券サービスがあるようです。
混雑状況
この日は日曜日、お店には開店直後の11時過ぎに訪問。
この時先客はおらず私のみでした。
メニュー・商品ラインナップ
オススメメニューはわかりやすくまとめてありました。
1番人気はデミグラスソースを使った洋風のカツ丼だそうですが、今回一番の目当ては『海軍さんの肉じゃが』。
あと特に食べたかったのは、昔から「いせ屋といえばカレーライス」といわれているくらい人気の『海軍時代のカレー』なので、今回はこちらを注文!
感想
【海軍さんの肉じゃが】495円(税込)
「海軍厨業管理教科書」の「甘煮」のレシピをそのまま受け継いで作られているそうで、にんじんは入らず、じゃがいも、牛肉、糸こんにゃく、玉ねぎとシンプル。
一般的な肉じゃがよりも水分が少ないのは、「甘煮」は食材から出る水分のみを使って作ることが理由だそうです。
牛肉はムチッと弾力のある食感、じゃがいもはメークインではなく男爵を使用しているそうで、甘めでコクのある味が中までしっかりと浸み込んでいます。
やっぱり肉じゃがを食べるとご飯が欲しくなりますね、美味しいです。
【海軍時代のカレー】830円(税込)
呉市では海上自衛隊・呉基地に所属する艦艇等で食べられているカレーを、呉市内の飲食店で食べることができる「呉海自カレー」としてご当地グルメになっています。
こちらのお店のカレーも海軍がルーツのカレーライスではありますが、「呉海自カレー」の加盟店ではないようです。
初代から受け継いでいるという味で、具材は牛肉に玉ねぎというとてもシンプルなカレーライス。
甘辛でコクがありますが、後味はスパイシーで爽快、しかしピリ辛くらいの丁度良いレベルでとても食べやすいです。
美味しいですが食べていてもあまり突出した特徴は見い出せず、でも不思議とクセになるカレーライスでした。
次回は未食のカツ丼を食べたいと思います!
ご馳走様でした!
公式サイト等
https://www.instagram.com/iseya1921
食べログ
田舎洋食 いせ屋
0823-21-3817
広島県呉市中通4-12-16
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