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長井名物『馬肉ラーメン』を代表する、約100年の歴史がある老舗!【新来軒】(山形県長井市)

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本サイトでは、実際に訪れた際の感想とともに、お店の基本情報や混雑状況、アクセス・駐車場情報、メニューや商品ラインアップなどを可能な範囲で調査し、記事を執筆しています。

名物・ご当地グルメ・郷土料理を取り上げる記事では、その名物の特徴や歴史を詳しく解説しております。

本記事の内容は、確認時点(訪問日・更新日等)の情報に基づいています。メニュー構成や価格、営業時間、定休日などは変更される場合があります。最新の状況は店舗公式サイトやSNS、または直接の問い合わせでご確認ください。

訪問日:2025年6月18日(水)

目次

長井名物 馬肉ラーメン

山形県長井市で名物となっている、馬肉を豚のチャーシュー代わりにトッピングしたご当地ラーメン「馬肉ラーメン」。

平安時代末期には長井を含む置賜地方は馬の産地であり、馬を年貢として納めていた記録も残っているそうで、古くから馬の一大産地として知られていたとのこと。

長井における馬肉食の歴史については、江戸時代に獣肉食が禁忌とされていたため、文献等資料も不足しており、諸説あるといわれています。

一説では全国的に馬肉食が有名な熊本や福島(会津)の影響があるといわれており、長井商工会議所が制作している「ながい馬肉大全」によると、以下のような説が出てきました。

●肥後熊本初代藩主の加藤清正公の墓が山形県鶴岡市(旧・櫛引町)にあり、清正公の嫡子・忠広公は改易により庄内藩にお預けとなり、その子孫が庄内藩に仕えたことから、熊本の馬肉食文化が庄内地方に伝わり、最上川や朝日軍道を通じて長井に伝わった。

●会津に馬肉食が広まったのは戊辰戦争の頃といわれており、県内に運ばれてきた負傷者に馬肉を食べさせたことが始まり。伊達正宗公や米沢藩などに見られるように、長井と会津には歴史的背景や文化を共有する部分が多く、長井の馬肉食文化においても会津との共通点があった。

牛肉よりも安く、食べても美味しい馬肉は昭和中期頃から庶民に広まっていったといわれており、特に「馬刺し」はお盆やお正月など家族や親戚が集まる時や、お祝いやお祭りなどハレの日のごちそうとして食べられていたとのこと。

「馬肉ラーメン」発祥の店としてよく紹介されている昭和28年(1953年)創業の「かめや食堂」では、豚肉が主流だった中華そばにおいて馬肉チャーシューを乗せた中華そばを提供するようになり、満州から引き揚げてきた創業者が、お客さんの話を聞きながら試行錯誤の上完成させた味とのこと。

「かめや食堂」の他にも「新来軒」や「まる久」というお店で馬肉ラーメンは提供されており、この3店は「御三家」とも呼ばれるそうです。

馬肉をトッピングしたラーメンは全国的にも珍しく、他には秋田県能代市二ツ井町なども有名。

新来軒

今回訪れたのはこの御三家と呼ばれるお店の一つ、山形県長井市あら町にある『新来軒』。

創業は昭和5年(1930年)と、約100年の歴史がある老舗。

『新来軒』ではいつから馬肉チャーシューが乗っていたのかは定かではないそうですが、元々は大陸に帰る中国人から支那そばを受け継いで創業されたそうです。

こちらのお店は馬肉と豚肉両方のチャーシューをトッピングしていることが特徴。

冷たいラーメンのことを「冷丼(ひやどん)」という名前で提供しているのも面白いポイントで、「冷丼発祥の店」ともいわれています。

冷たいラーメンを「冷丼」と呼ぶのは山形県の他、新潟県長岡市栃尾などでも呼ばれています。

今回は馬肉ラーメンを求めて、念願の初訪問です。

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