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牛の脂をたっぷり使用し、ニンニクを利かせた、米沢ラーメンにしては珍しいこってりタイプ!【山大前 やまとや】(山形県米沢市)

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本サイトでは、実際に訪れた際の感想とともに、お店の基本情報や混雑状況、アクセス・駐車場情報、メニューや商品ラインアップなどを可能な範囲で調査し、記事を執筆しています。

名物・ご当地グルメ・郷土料理を取り上げる記事では、その名物の特徴や歴史を詳しく解説しております。

本記事の内容は、確認時点(訪問日・更新日等)の情報に基づいています。メニュー構成や価格、営業時間、定休日などは変更される場合があります。最新の状況は店舗公式サイトやSNS、または直接の問い合わせでご確認ください。

訪問日:2025年6月21日(土)

目次

米沢ラーメンとは

山形県米沢市の名物として知られているご当地ラーメン「米沢ラーメン」。

スープは鶏ガラ、豚骨、煮干し等を使用したあっさり醤油味が多く、トッピングもネギ、チャーシュー、メンマなどシンプルでオーソドックスですが、何よりの特徴が麺。

全国的に見ると、中細~細麺は旭川や博多など低加水のものが多い中、米沢ラーメンは細麺でありながら加水率が高く、手揉みを加えることでチリチリとした独特の縮れた形状に仕上がります。

その歴史は関東大震災があった大正12年(1923年)前後に遡るといわれており、この時既に米沢には中国人が営業するラーメンの屋台が3~4軒存在していたそうで、その後大正末期までに「上海軒」、「来々軒」、「朝日軒」といったお店が米沢に誕生。

後に東京築地の精養軒で修業を積んだ調理人の常松恒夫さんが米沢市門東町にあった「舞鶴」で支那そばの販売を開始し、米沢における最初の日本人ラーメン職人になったとのこと。

米沢ラーメンの特徴である細い手揉みの縮れ麺は、常松恒夫さんが奥さんの大事にしていた織物をシワクチャにしてしまった際、その柔らかく気持ちのいい感触をきっかけに考案したといわれています。

中国人による屋台は昭和初期の恐慌や満州事変などによる日中関係の悪化等で姿を消していったそうですが、昭和9年(1934年)頃からは中国人からラーメンの製法を習った日本人が開いたお店が爆発的に増えていったとのこと。

米沢には約100軒ものラーメン屋があるといわれており、米沢ラーメンの特徴でもあるあっさりとしたスープは、米沢の日常に根付いたラーメンを、「たとえ毎日でも飽きずに食べてもらえる味」と考えて提供されるようになったともいわれています。

山大前 やまとや

今回訪れたお店は、山形県米沢市、山形大学米沢キャンパスのすぐそばにあるラーメン店『山大前 やまとや』。

創業は昭和40年(1965年)。

米沢市内にはこちらのお店の他、「やまとや本店」や「お食事処 やまとや(やまとや西支店)」というお店もあります。

公式サイトなどには何も書いておらず、正確な情報かは不明ですが、この3店はそれぞれ兄弟が別に始めたお店だそうで、直営の支店ではなく経営は別であり、メニューや味にも違いがあるようです。

今回訪れた『山大前 やまとや』は、牛の脂をたっぷり使用し、ニンニクを利かせた、米沢ラーメンにしては珍しいこってりタイプのラーメンを提供しているとのこと。

以前から気になっていたお店で、今回初訪問です。

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