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4段でも300円という驚きの安さ!高知名物『アイスクリン』の人気店!【1×1=1 アイスクリン】(高知県高知市)

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本サイトでは、実際に訪れた際の感想とともに、お店の基本情報や混雑状況、アクセス・駐車場情報、メニューや商品ラインアップなどを可能な範囲で調査し、記事を執筆しています。

名物・ご当地グルメ・郷土料理を取り上げる記事では、その名物の特徴や歴史を詳しく解説しております。

本記事の内容は、確認時点(訪問日・更新日等)の情報に基づいています。メニュー構成や価格、営業時間、定休日などは変更される場合があります。最新の状況は店舗公式サイトやSNS、または直接の問い合わせでご確認ください。

訪問日:2025年8月31日(日)

目次

アイスクリンとは

高知を代表するスイーツとして親しまれている「アイスクリン」。

砂糖・たまご・脱脂粉乳・香料などで作られる氷菓子で、乳脂肪分0.9%、無脂肪固形分7.6%、乳固形分8.5%と、一般的なアイスクリームよりも乳脂肪分が少なくて、さっぱりとしたサクサク・シャリシャリした食感が特徴。

ほんのりバナナ味の白いアイスクリンが昔からの定番ですが、現在では抹茶、ゆず、あずき、いちご、メロン、みかん、ソーダ、チョコレートなど、フレーバーのバリエーションは豊富。

「日本アイスクリーム協会」の公式サイトによると、アイスクリームを日本で最初に食べたのは、日米修好通商条約批准のため渡米(1860年:万延元年遣米使節)した徳川幕府一行というのが定説になっているとのこと。

この時の正使は新見豊前守で、以下77名の使節団が迎船ポーハタン号に乗り込み、随伴船の咸臨丸には勝海舟や福沢諭吉らが乗船し、サンフランシスコで使節団一行と別れ帰国しています。

その後、正使一行はパナマ経由でワシントンを目指し、当時の大統領ブキャナンと批准書を取り交わし、上陸した時の迎船フィラデルフィア号の中でアイスクリームのおもてなしを受けたそうです。

その模様は従者柳川当清の「柳川日記」にて、「珍しき物あり。氷をいろいろに染め、ものの形を作り、是を出す。味は至って甘く、口中に入るるに忽ち溶けて、まことに美味なり。之をアイスクリンといふ」と書かれおり、その美味しさに目を丸くしたと伝えられているとのこと。

そして明治2年(1869年)に、咸臨丸で渡米した勝海舟に私淑して赤坂氷川町に住居を構えたと伝えられる町田房蔵が、横浜馬車道通りで氷と塩とを使用して、日本で最初のアイスクリーム「あいすくりん」の製造販売を開始。

一説では出島松造という人が町田房蔵に牛乳、卵、砂糖で作ったアイスクリームの製法を伝えたともいわれているそうで、この辺りの背景はわかっていないことも多そうです。

高知では大正10年(1921年)に「高知アイスクリーム商工業協同組合」が設立され、当時は130人の組合員が県内各地で行商をしていたそうです。

しかし戦後には物資不足とあまり儲けもないことから、昭和30年頃(1955年)には組合人数は20人まで減少。

その後自動車が普及したことから、ドライバー目当てに道路脇で販売するアイスクリン屋が急増し、高知にアイスクリンの販売店が多いことがマスコミにも取り上げられ、高知名物として親しまれるようになったそうです。

桂浜や高知城などの観光地、道の駅、お祭りなどのイベントの際にも、アイスクリンを売る移動式のパラソルは定番の光景。

1×1=1 アイスクリン

今回訪れたお店は、高知県高知市南はりまや町にある『1×1=1 アイスクリン』。

こちらは「高知アイスクリーム商工業協同組合」が運営するお店。

独特すぎる数式の店名には、「伝統一番・味一番・信用一番。」という意味が込められているそうです。

高知では売店のアイスコーナーには基本アイスクリンが置いてありますし、アイスクリンの屋台もよく見かけるものの、店舗型の専門店となるとそこまで多くない印象。

常設の店舗で買うならこちらのお店が定番の人気店として知られており、高知に来たら毎回寄りたくなるお気に入りのお店です。

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