訪問日:2024年3月22日(金)
喜多方ラーメンとは
北海道の札幌ラーメン、福岡県の博多ラーメンと並び、日本三大ラーメンの一つに数えられている福島県喜多方市のご当地ラーメン「喜多方ラーメン」。
喜多方市は人口4万人台でありながら、ラーメン提供店は市内に100軒以上あるといわれていて、栃木県の佐野市と対人口比の店舗数日本一を競っているというラーメンの町。
喜多方ラーメンの特徴は、豚骨、鶏ガラ、煮干し等を使ったあっさり澄んだスープに醤油味がベースですが、お店によって塩味や味噌味など様々。
特に個性的なのが「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれる麺で、一般的な麺より水分を多く含んだ約3~4mm幅の平打ち太麺、独特の縮れた形状、食感はモチモチと柔らかめなのが特徴。
そして喜多方ラーメンの美味しさの決め手になっているのが、市内に送られる地下水・水道水に多く含まれる「平成の名水百選」に選出された熱塩の「栂峰(つがみね)渓流水」で、ラーメンの麺やスープに使われるだけでなく、醤油や味噌を作るのにも欠かせない資源になっているとのこと。
また喜多方ラーメンのお店は朝から営業しているお店が多いのも大きな特徴。
理由として考えられている説として、以下のようなものがあるそうです。
〇市内の3交替制の工場の人たちが夜勤明けに立ち寄るため
〇朝早く農作業に出た農家の人が一仕事終えて食べに来た
〇冬、出稼ぎから夜行列車で帰ってきた子どもを暖めるために家に帰る前にラーメン屋に立ち寄ったから
〇市役所の職員やなじみの客が早朝野球をした後、仕事に行く前に食べるため、店主に頼んで開けてもらっていた
喜多方ラーメンの歴史は古く、大正末期から昭和初期に遡るといわれています。
中国浙江省生まれの藩欽星氏が両親と死別したため、日本で働こうと大正14年(1925年)に19歳で長崎に渡って東京・横浜で土木作業員をし、昭和2年(1927年)に加納鉱山の叔父を頼って喜多方へ移ったそうです。
しかし叔父も仕事の世話が出来なかったことから、中華麺を打って屋台で売り歩き生計をたてることに。
この時中華麺を思い出して見よう見まねで作ったのが、「平たくて、太くて、縮れた」特徴を持った手打ち麺であり、これが喜多方ラーメンのルーツになったとのこと。
その後藩欽星氏は麺打ちの技術やスープの取り方などを広く喜多方市民に伝え、市内で「支那そば」や「中華そば」をメニューに出すお店が沢山増えていったそうです。
喜多方では古くから醤油、味噌、清酒の醸造業が盛んだったことから、喜多方市内には醸造蔵が多く存在し、「蔵のまち喜多方」として喜多方観光の原点になっています。
喜多方ラーメンが全国に知られるようになったのは、蔵の立ち並ぶ伝統的な町並みを撮った地元の写真家が、昭和47年(1972年)を皮切りに各地で行った写真展により、「蔵のまち」としての知名度があがったことが最初のきっかけ。
昭和50年(1975年)にはNHK総合テレビの旅行番組「新日本紀行」で蔵と人々をテーマにした「蔵ずまいの町 福島県・喜多方市」が放送され、多くの観光客が訪れるようになったそうです。
しかし蔵の観光だけでは観光客の滞在時間が短かったことから、昭和58年(1983年)に喜多方市の商工観光課は喜多方のラーメンについての観光宣伝を思い至ったとのこと。
当時福島県の職員が喜多方市を訪れた際、昼食時に食べたいものとして「ラーメン(支那そば)」と答える人が多かったことが理由で、県の観光連盟の仲介から旅行情報誌「るるぶ」の昭和58年7月号に喜多方ラーメンについての記事を掲載したところ、市に問い合わせが殺到。
昭和60年(1985年)7月にはNHK「おはようジャーナル」で「ラーメンの香りただよう蔵のまち」が放送。
この影響は特に大きかったそうで、放送後すぐに全国から「小さなまちにどうしてそんなに美味しいラーメン屋がたくさんあるのか?」といった電話が入ったそうです。
昭和61~62年には様々なメディアの取材が増え、この頃から札幌・博多と並ぶ「日本三大ラーメン」と呼ばれるようになってきたとのこと。
喜多方ラーメンについては昭和62年(1987年)に喜多方市の観光PRの一環として発足した「蔵のまち喜多方 老麺会」の公式サイトに詳しく掲載されており、歴史や特徴の多くはこちらで勉強させていただきました。
坂内食堂と喜多方ラーメン坂内
今回訪れたお店が、喜多方市役所の近くにあるお店『坂内食堂(ばんないしょくどう)』。
創業は昭和33年(1958年)5月。
創業者は老舗「上海」で修業をされたそうです。
上海仕込みの塩味ラーメンで、出汁は豚骨を基本に隠し味で少し醤油を加え、自家製チャーシューをたっぷり載せたスタイルが特徴。
『坂内食堂』は喜多方ラーメンを代表する老舗の名店として全国的に知られており、「まこと食堂」と「源来軒」と並び「喜多方ラーメンの御三家」と呼ばれています。
また「源来軒」はラーメン専門店ではなくて中華料理店でもあるので、別格扱いとして「まこと食堂」と『坂内食堂』で「二横綱」とも呼ばれているそうです。
また食べログのラーメン百名店には2019~2024年の6年連続で選出されています。
ただ「喜多方ラーメン」の「坂内」といえば、一般的には全国にチェーン展開している「喜多方ラーメン坂内」の方が有名だと思います。
「喜多方ラーメン坂内」は現在東京都品川区に本社を置く「株式会社麺食」が展開しているお店。
創業者の中原明さんは元々千葉で「信州そば 中原」という蕎麦屋を出していましたが、その後国鉄に入り、民営化に向けた余剰人員活用のための関連会社「サンフーズ」の常務として「大阪の味 うどん・そば めん亭」というお店を作ったとのこと。
そして国鉄がJRになるタイミングに、「サンフーズ」で新たに売れるものを探そうという話になり、注目したのが「ラーメン」。
全国のラーメンを食べ歩く中で中原さんが惚れ込んだのが、麺が特徴的だった「喜多方ラーメン」。
『坂内食堂』の麺も作っている製麺所「曽我製麺」を訪ねた結果、『坂内食堂』を修業先として紹介してもらい、昭和62年(1987年)有楽町の9坪しかない場所に『坂内食堂』の味を引き継いだお店「くら」(旧内幸町ガード下店)をオープン。
「くら」という名前は「蔵のまち喜多方」のイメージから名付けたそうです。
翌年の昭和63年(1988年)には長野県の東部町に「喜多方ラーメン坂内」の1号店をオープン。
その後過去にチェーン店を立ち上げた経験を活かしながら、知名度を高めつつ店舗を各地に増やしていき、「喜多方ラーメン坂内」は喜多方ラーメンの知名度を全国に広めた立役者といわれています。
『坂内食堂』と「喜多方ラーメン坂内」は別企業になるのでメニューなどもそれぞれ異なりますが、『坂内食堂』の3代目が逆に「喜多方ラーメン坂内」で修業をするなど、現在も連携関係にあるようです。
私は『坂内食堂』には2017年に一度行ったことがあり、今回6年半ぶりに再訪。
アクセス
場所は喜多方駅から徒歩16分くらいの距離。
駐車場は店舗の少し南にありましたが、Googleマップで検索すると第2駐車場や第3駐車場も近くに出てきました。
混雑状況
この日は平日の金曜日、お店には朝8時40分頃に訪問。
以前休日の昼に行った際は満席で外待ち20人くらいでしたが、この時は外待ち無しで店内の客入りは4~5割くらい、すんなりと入れました。
メニュー・商品ラインナップ
今回は基本の「しなそば」を注文!
感想
【しなそば】800円(税込)
油控えめで綺麗に澄んだ淡い黄金色のスープ。
あっさりと優しめながらコクがあり、ほんのりと豚骨ならではの風味も感じます。
麺は喜多方ラーメンで定番の極太縮れ麺で、ツルッとモッチモチの食感。
トッピングはとてもシンプルですが、チャーシュー増しでなくてもデフォルトでチャーシューが4枚も乗っているのは嬉しいですね。
見た目ほど脂身のギトッとした感じもなく、適度な噛み応えがあり味付けはしっかりめ。
前回も美味しかったですが、今回は以前よりも更に美味しく感じました。
ご馳走様でした!
公式サイト等
公式サイト
http://shop.bannaisyokudou.jp/
食べログ
坂内食堂
0241-22-0351
福島県喜多方市字細田7230
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