MENU

ご当地グルメ『伊那ソースかつ丼』の元祖!【ひげのとんかつ 青い塔】(長野県伊那市)

本サイトでは、実際に訪れた際の感想とともに、お店の基本情報や混雑状況、アクセス・駐車場情報、メニューや商品ラインアップなどを可能な範囲で調査し、記事を執筆しています。

名物・ご当地グルメ・郷土料理を取り上げる記事では、その名物の特徴や歴史を詳しく解説しております。

本記事の内容は、確認時点(訪問日・更新日等)の情報に基づいています。メニュー構成や価格、営業時間、定休日などは変更される場合があります。最新の状況は店舗公式サイトやSNS、または直接の問い合わせでご確認ください。

本サイトではアフィリエイト・アドセンス広告を利用しています

訪問日:2024年10月4日(金)

目次

伊那ソースかつ丼の元祖 ひげのとんかつ 青い塔

長野県伊那市のご当地グルメ「伊那ソースかつ丼」の元祖といわれている、昭和21年(1946年)創業のお店『ひげのとんかつ 青い塔』。

「ソースかつ丼」は一般的なかつ丼のように卵とじにせず、ソースをかけて食べるかつ丼のことで、福井、福島、群馬、長野、山梨などで名物になっており、地域によっては「かつ丼」といえば「ソースかつ丼」のことを指します。

ソースに浸したとんかつをご飯にのせたもの、とんかつをのせた後に全体にソースをかけて提供されるもの、ソースがかかっていない状態で提供され個人の好みの量・種類のソースをかけるもの、キャベツの有無など、そのスタイルも地域によって様々。

「ソースかつ丼」の起源については明確な資料も少ないため、全国各地で独自の発祥説があり、どこのお店が元祖なのかは定かではないようですが、現状確認されている中で特に有名な最古の説には以下のようなものがあります。

●明治30年頃に山梨県甲府市の「奥村本店」の5代目が東京へ出かけた際にカツレツを食べ、感動してメニューに取り入れようとしたものの、当時出前が主流だったそば店では器が一つで済む丼物が中心だったため、キャベツの上に揚げたてのとんかつをのせ、ソースをかけて食べる「かつ丼」が誕生。1995年9月付けの地方紙「山梨日日新聞」に、関係者への聞き取りをした上で、少なくとも明治30年代後半には「奥村本店」で「かつ丼」が提供されていたという記事があったという説。

●福井県出身の「ヨーロッパ軒」の初代・高畠増太郎が、料理研究留学先のドイツから帰国後、東京市牛込区(現・東京都新宿区)早稲田鶴巻町の早稲田大学前に店を構え、大正2年(1913年)に東京で開かれた料理発表会で初披露したという説。(※記録として残っている限りで最古)

また卵とじのかつ丼は、1918年(大正7年)に早稲田大学近くにあった蕎麦店「三朝庵」にて、宴会のキャンセルで余ることがあったとんかつを冷めても美味しく食べられるように、「卵でとじたらどうか」と常連の学生から提案されて誕生したという説が有名。

時系列で見るとソースかつ丼の方が歴史が古いことから、「かつ丼の元祖」=「ソースかつ丼」ではないか?ともいわれています。

「伊那ソースかつ丼」の特徴は、ご飯の上にシャキシャキのキャベツの千切りをのせ、その上にソースにくぐらせた揚げたてのとんかつを盛り付けるスタイルで、ソースは各店オリジナルの秘伝の味とのこと。

その歴史については、『ひげのとんかつ 青い塔』のメニューに以下のように書いてありました。

長野県上伊那の中心、伊那市通り町、厚生市場に開店いたしましたのが始まりです。

店名の由来については満州で満州鉄道の賄いをしていた時に大変お世話になった「青い塔」という料理店の名前を頂きました。

その後、現在まで受け継がれているソースの元になる旨味ソースを先代が考案し、どんぶりのご飯にキャベツをのせ、その旨味ソースをくぐらせた豚かつをのせたのがソースかつ丼の誕生です。

それが広く評判になり、先代の特異な風貌とあいまって、口々に「ひげのとんかつ」と呼ばれ、その味は多くのお店に影響し、伊那町に端を発し、現在は、伊那谷の食文化として広く愛されるソースかつ丼になりました。

2006年5月31日には伊那ソースかつ丼のPR団体「伊那ソースかつどん会」も発足。

カツを揚げる時のジュージューという音にちなみ10月10日を「ソースかつ丼の日」と定め、加盟店では様々なサービスが行われるそうです。

アクセス

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次