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オムライス発祥のお店として有名な老舗洋食店!【北極星 心斎橋本店】(大阪府大阪市)

本サイトでは、実際に訪れた際の感想とともに、お店の基本情報や混雑状況、アクセス・駐車場情報、メニューや商品ラインアップなどを可能な範囲で調査し、記事を執筆しています。

名物・ご当地グルメ・郷土料理を取り上げる記事では、その名物の特徴や歴史を詳しく解説しております。

本記事の内容は、確認時点(訪問日・更新日等)の情報に基づいています。メニュー構成や価格、営業時間、定休日などは変更される場合があります。最新の状況は店舗公式サイトやSNS、または直接の問い合わせでご確認ください。

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訪問日:2021年10月19日(火)

目次

北極星

大阪の心斎橋に本店を構える、オムライス発祥の店として有名な老舗洋食店『北極星』。

創業者は神戸屋パンの前身の神崎屋で働いていたそうで、大正11年(1922年)になにわ筋汐見橋停留所前に北極星の前身となる「パンヤの食堂」をオープン。

『北極星』という名前は永井柳太郎氏(衆議院議員、元文部大臣永井未道雄氏の父)の「生活の道しるべせよ北極の天に輝く。明星の度徳」という言葉から取り、昭和11年(1936年)に命名されたそうです。

店舗は公式サイトによると本店の他、堀江店、天保山店、高島屋大阪店、大丸梅田店、泉北高島屋店、エキマルシェ新大阪店、ららぽーとEXPOCITY店、甲子園プラス店、四条河原町店、京都ポルタ店、ルクア大阪店、LINKS UMEDA店、北浜店、近鉄あべのハルカス店、また姉妹店として「やわらぎの郷」というお店もあるとのこと。

今回は北極星の心斎橋本店へ訪問。

こちらは1989年10月26日に鮮ふぐ料理「北はし」を閉店改装し、オムライス専門店としてオープンしたそうです。

これは後で知りましたが、オムライス専門店としての1号店は昭和59年(1984年)にオープンした「堀江店」のようです。

オムライスの歴史

「オムライス発祥の店」といわれるお店はいくつかあるそうで、特にこちらの『北極星』と、東京の銀座にある「煉瓦亭」が有名。

「煉瓦亭」では忙しい厨房でもスプーンひとつで食べられるようにと、明治33年(1900年)に賄い料理として考案されたそうです。

それを見た客の要望から「ライスオムレツ」という名称でメニューに載せるようになったそうで、今でもお店で「ライスオムレツ(元祖オムライス)」という名前で提供されています。

しかしこれは溶き卵に白飯とみじん切りの具材、調味料を混ぜ込んで焼いたもので、現在のオムライスとは異なるスタイルのものだったとか。

現在一般的になっている玉子で包むスタイルのオムライスは、明治38年(1905年)以降に誕生したそうです。

南ヨーロッパの船に乗っていたコックさんたちがスペインやイタリアなどでリゾットやピラフを覚えて帰ってきたそうですが、日本では炊いたご飯があるから米から炒めなくてもいいので、ご飯をチャーハン式に炒めて鶏肉を入れたものを「チキンライス」、エビを入れたものを「エビライス」という名前で出していたもののバリエーションとして、薄焼き玉子で包むようになったとのこと。

『北極星』では、「パンヤの食堂」時代に雨具屋の小高さんという胃の具合が悪い常連客がいて、いつもオムレツと白ごはんを食べていたそうですが、大正14年(1925年)に「くる日もくる日も同じものではかわいそうだ」とケチャップライスを薄焼き卵で包んだ特製料理を提供したところ大変気に入られ、「オムレツとライスを合わせてオムライスでんな。」ととっさに答えたのが「オムライス」誕生の由来だそうです。

また築地精養軒の料理長であった鈴本敏雄氏が大正9年(1920年)に著した「仏蘭西料理献立書及調理法解説」には「味附米飯を詰めて調製し、赤茄子ソースを添へる」オムレツが「Omelette Mireille」として紹介されていて、大正15年(1926年)に出版された「手軽においしく誰にも出来る支那料理と西洋料理」にもトマトソースで調味したチャーハンを薄焼き卵で包むレシピが「オム、ライス(卵と肉の飯)」として紹介されていたそうで、少なくとも大正時代には現在のスタイルのオムライスが誕生していたことがわかっているそうです。

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