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明治2年(1869年)創業、東大寺門前にある名物『奈良漬け』の老舗!【森奈良漬店】(奈良県奈良市)

本サイトでは、実際に訪れた際の感想とともに、お店の基本情報や混雑状況、アクセス・駐車場情報、メニューや商品ラインアップなどを可能な範囲で調査し、記事を執筆しています。

名物・ご当地グルメ・郷土料理を取り上げる記事では、その名物の特徴や歴史を詳しく解説しております。

本記事の内容は、確認時点(訪問日・更新日等)の情報に基づいています。メニュー構成や価格、営業時間、定休日などは変更される場合があります。最新の状況は店舗公式サイトやSNS、または直接の問い合わせでご確認ください。

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訪問日:2025年4月18日(金)

目次

奈良漬けとは

奈良を代表する名物として全国的な知名度を誇る特産品「奈良漬け(ならづけ)」。

シロウリをはじめ、茄子、胡瓜、すいか、すもも、生姜、セロリ、大根、にんじん、ニンニクなど、様々な食材を塩漬けにして酒粕に漬け込んだ奈良発祥の漬物。

酒粕を何度も替えて漬け込むことでべっ甲色になるのが特徴で、お酒の香りと米のうま味が野菜に染み込み、塩気が効いているためご飯のおかずとしてよく食べられます。

元々は「奈良漬け」ではなく「粕漬け」と呼ばれていたそうで、その歴史は古く、長屋王の屋敷跡から見つかった8世紀のものと考えられる木簡に「加須津毛瓜(かすづけうり)」と記したものがあり、正倉院文書には生姜や瓜の粕漬けが記されているとのこと。

当時の酒はどぶろくのような物だったため現在の酒粕とは異なり、容器の底の澱(おり)に野菜などを漬けたものだったと考えられているそうです。

またその頃酒は誰でも醸造できるものではなく、造酒司(みきのつかさ)という都の役所で醸造される国営事業の一つで、粕漬けも都の貴族たちが食べる高級食品だったといわれています。

都が移った後も奈良ではお寺で酒造りが続けられて醸造技術がのこり、奈良のお寺をルーツとする酒は「僧坊酒」と呼ばれたそうです。

現在のように澄んだ酒「清酒」の原型といわれる「諸白づくり」という製法は「正暦寺」で室町時代に開発されたといわれており、奈良は「清酒発祥の地」といわれているとのこと。

この酒造りの進歩に伴って奈良漬けも現在の形に変化したそうで、「奈良漬け」という名前が初めて出てくる文献は「山科家礼記(1492年)」の「ミヤゲ、ナラツケオケ一」、これは京都・宇治でつくられた粕漬けを「奈良漬け」として京都の人におみやげとして持っていったことの記録だそうです。

その後江戸時代にかけて色々な文献に登場し、ポルトガルの宣教師が書いた「日葡辞書(1603年)」には「奈良漬は奈良の漬物の一種であり、香の物の代わりに使う」と記されていることから、この頃には酒の粕漬け全般の名称として「奈良漬け」が定着していたことがわかります。

また江戸時代までは一般庶民の口には入らない高級品だったそうですが、奈良の漢方医の糸屋宗仙が白瓜を酒粕に漬けて町家に売り出したことで初めて庶民に普及し、その後奈良を訪れる旅人などによって「奈良漬け」という名前が全国に知られるようになったそうです。

老舗といわれる奈良漬製造業者は江戸末期から明治初期にかけて創業したものが多く、江戸末期に造り酒屋として創業し、後に奈良漬製造業に転じたものも多いそうで、奈良漬けはこうした老舗によってその伝統が守られてきたとのこと。

森奈良漬店

今回訪れたお店は、奈良漬け製造業者の中でも老舗の代表格の一つ、奈良県奈良市の東大寺南大門前にある『森奈良漬店』。

東大寺の塔頭員言院の僧よりすももの粕漬法を教授されていた初代の森タツさんという女性が、高畑町の八木酒造から酒粕を買って粕漬を売り始め、明治2年(1869年)に創業。

夫の吉平さんは酒の小売商「酒吉」を営んでおり、その名前を使って「酒吉こと森たつ」という屋号で、当時は東大寺境内の眞言院(東大寺ミュージアムの北側)の近くにお店があったとのこと。

その後「東大寺の中に奈良漬屋や土産物があるのは寺の風格を傷つける」といった声があがり、昭和17年(1942年)に現在地の東大寺南大門前に移転。

3代目の平八郎さんの時代に何のお店かわかりやすい『森奈良漬店』へ屋号変更したそうです。

今回は奈良公園に遊びに来たので、お土産に奈良漬けはピッタリと思い、アクセス良好なこちらのお店へ初訪問。

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