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名古屋名物『ひつまぶし』の元祖といわれるお店の一つ!【いば昇】(愛知県名古屋市)

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訪問日:2024年5月3日(金)

目次

ひつまぶしとは

主に愛知県や三重県で名物になっている、鰻を使った郷土料理『ひつまぶし』。

鰻の蒲焼を細かく刻んでお櫃(ひつ)に入れたご飯の上にのせ、食べる際はお茶碗に取り分けますが、①そのままで、②ワサビや刻み海苔・刻みネギなどの薬味をのせて、③出汁やお茶でお茶漬けにしてと、一度に3種類の食べ方を楽しむのが基本スタイル。

『ひつまぶし』という名前の由来は諸説あるようですが、「お櫃(ひつ)」で鰻とご飯を「まぜる(まぶす)」ことが有力な説といわれています。

その歴史や発祥地、元祖のお店についても諸説あるようで、以下の3店の説が有名です。

①あつた蓬莱軒(愛知県名古屋市)
明治6年(1873年)に料亭として創業したお店。
当時は蒲焼き(鰻)とかしわ(鶏)が名物で出前が多かったそうですが、出前持ちが出前を下げに行く度に空の丼を割って戻ってきたため、2代目店主が割れない木の器を考案し、大きなお櫃に数名分の鰻丼をまとめて出前をするようになったとのこと。
すると鰻ばかりを先に取ってご飯が残るようになったので、鰻を細かく切ってご飯とまぜて出したところ好評だったため、会席料理の食事にも出すようになったそうです。

②つたや(三重県津市)
創業は明治8年(1875年)。
昔は天然うなぎを使っていたため大きさがバラバラだったことから、太いのは硬くてお客さんに出せず、焼いた後に細かく刻んでまかないにして食べていたとのこと。
手早く焼くと臭みが残るので薬味を入れ、自然とお茶漬けにもしたと推測されており、元々はお店で出すようなメニューではなく仕方なく食べるものだったとか。
こちらでは名古屋でメニュー化されていることを聞きつけてから昭和50年頃に提供が開始されたそうで、後に他の津市内のうなぎ店でも要望が多かったことから提供店が増えたといわれています。

③いば昇(愛知県名古屋市)
創業は明治42年(1909年)。
他の2店のような誕生の背景については調べてみてもよくわからなかったのですが、お店のメニューに「櫃まぶし」は大正時代に名古屋で始まり、「いば昇」も発祥店のひとつとされているという記述があります。
また昭和39年(1964年)に発行された「名古屋味覚地図」において、「いば昇」の項に「櫃まぶし」の記述が確認されているとのこと。

現在のスタイルを完成させたお店については定かではないようですが、これだけを見ると少なくともメニュー化されたのは名古屋が最初という印象は受けます。

『ひつまぶし』は愛知県や三重県の鰻屋では定番メニューになっていて、その知名度と人気から県外のお店でもメニューに取り入れていることが多い印象。

また肉料理や海鮮料理などにも「肉まぶし」や「海鮮まぶし」といった感じで、薬味やお茶漬けで様々な楽しみ方が出来るひつまぶしスタイルの応用がよく見られます。

いば昇

今回訪れたお店は上述の発祥店の一つ、愛知県名古屋市中区の錦三丁目にある『いば昇』。

明治42年(1909年)に東区武平町にて創業。

1945年に名古屋大空襲にて店舗が焼失したことから、戦後に錦二丁目にて仮店舗で営業再開し、1952年に現在の錦三丁目にて移転開業。

現在は6代目になるそうです。

実は錦三丁目の他にも、名古屋市中区栄三丁目に「いば昇 本店」というお店があります。

錦三丁目の公式サイトには「当店、錦三丁目にありますいば昇は、1店舗のみです、姉妹店はございません。お間違いが多くなっておりますのでお確かめの上ご来店下さい。」という記述があるので、全く関係はないとのこと。

しかしネットで出てくる情報だと、本店は栄三丁目の方で、錦三丁目の方は暖簾分けだと説明している記事を頻繁に目にし、栄三丁目は「いば昇 本店」、錦三丁目は「錦三丁目いば昇」と呼び分けられることも多いようです。

昔は関係があったものの現在では色々あって関係を切ったパターンも、憶測だけが飛び交い本当に関係がないパターンもあるので、この情報だけだと過去の真偽は不明。

少なくとも現在は全く関係がない、これが全てですね。

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この記事を書いた人

日本全国を巡り、ご当地グルメや郷土料理、名産を活かした料理を中心に食べ歩いています。
こちらのブログではお店の情報や味の感想だけでなく、ご当地グルメや郷土料理の特徴・歴史についても詳しく解説しております。

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