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数多くの人気店に影響を与えた、札幌ラーメンを代表する老舗の名店!【さっぽろ純連 札幌店】(北海道札幌市)

本サイトでは、実際に訪れた際の感想とともに、お店の基本情報や混雑状況、アクセス・駐車場情報、メニューや商品ラインアップなどを可能な範囲で調査し、記事を執筆しています。

名物・ご当地グルメ・郷土料理を取り上げる記事では、その名物の特徴や歴史を詳しく解説しております。

本記事の内容は、確認時点(訪問日・更新日等)の情報に基づいています。メニュー構成や価格、営業時間、定休日などは変更される場合があります。最新の状況は店舗公式サイトやSNS、または直接の問い合わせでご確認ください。

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訪問日:2022年7月20日(水)

目次

さっぽろ純連

北海道札幌市に現在「札幌店」と「北31条店」の2店舗を構える、札幌ラーメンを代表する老舗の名店『さっぽろ純連(じゅんれん)』。

お店の歴史については、『さっぽろ純連』や「すみれ」の公式サイト、日本ラーメン検定のテキストなどに詳しく書いてありました。

昭和39年(1964年)に豊平区中の島の自宅庭にて、初代の村中明子さんが「純連」を創業。

当時の読み方は「じゅんれん」ではなく「すみれ」。

サッパリしたラーメンが主流の中で「純連」のラーメンは濃厚な味わいを追求し、斬新な味が多くの人に衝撃を与えたそうで、当時のラーメン1杯の平均価格が75円だった中、こだわりと自信を持って100円で販売していたそうです。

昭和42年(1967年)に店舗を建て替え、口コミで評判が広まり、遠方からの客も増え始めたとのこと。

昭和57年(1982年)7月に自宅の引っ越しと村中明子さんの体調不良により一度閉店し、昭和58年(1983年)に中央区南11条西1丁目に移転して再開。

お店の読み方を広く親しみが持てるようにと「じゅんれん」に変更したそうです。

昭和62年(1987年)10月に長男の村中教愛さんが2代目として受け継ぎ、南区澄川に移転。

平成元年(1989年)には三男の村中伸宜さんが「純連」の創業地である中の島にて「すみれ」を開業。

村中伸宜さんは幼少期から村中明子さんのお店を手伝っていたそうで、その後料理好きが高じ、和食の料理人として様々な修業を重ね、地元の札幌に戻ってからは寿司店を営業していたそうですが、村中明子さんたっての願いからラーメン屋に転身。

村中明子さんはその後、平成7年(1995年)に北区新琴似で 「らーめんの駅」を開業し、平成16年(2004年)まで営業。

店名は「すみれ」 のファンだったという高倉健さんが、その名を付けた岡持ちを持って映画「駅 STATION」の撮影に臨んだというエピソードが由来。

「すみれ」と「らーめんの駅」は新横浜ラーメン博物館にも出店していたようです。

「純連」2代目の村中教愛さんは、平成6年(1994年)8月に南区澄川から現在の「札幌店」がある豊平区平岸に移転させ、近代的なラーメン店へと変革させたとのこと。

平成24年(2012年)には3代目となる山岸敬典さんが「純連」を受け継ぎ、平成25年(2013年)2月21日に「北31条店」をオープン。

「純連」と「すみれ」は札幌ラーメン屈指の有名店として知られる存在になり、こちらのお店で修業された方が次々と独立。

「麺屋彩未」や「狼スープ」など、数多くの人気店を輩出していることから、これらの一大勢力は『純すみ系』と呼ばれています。

今回は以前も行ったことがある『さっぽろ純連 札幌店』を訪問。

初めて札幌を訪れた際に食べに行き、美味しくて北海道のラーメンが大好きになった思い出のお店です。

札幌店は2017年と2019年~2022年に食べログのラーメン百名店にも選出されています。

以前訪れたのは平成25年(2013年)。

前回から少し雰囲気が変わっているように感じましたが、後で調べたところ、こちらの札幌店は現在地に移転してから平成20年(2008年)と平成30年(2018年)にリニューアルしているそうです。

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