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無料で楽しめる工場見学に、試食が充実した直売店!梅干はどれも絶品!【紀州梅干館】(和歌山県みなべ町)

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本サイトでは、実際に訪れた際の感想とともに、お店の基本情報や混雑状況、アクセス・駐車場情報、メニューや商品ラインアップなどを可能な範囲で調査し、記事を執筆しています。

名物・ご当地グルメ・郷土料理を取り上げる記事では、その名物の特徴や歴史を詳しく解説しております。

本記事の内容は、確認時点(訪問日・更新日等)の情報に基づいています。メニュー構成や価格、営業時間、定休日などは変更される場合があります。最新の状況は店舗公式サイトやSNS、または直接の問い合わせでご確認ください。

訪問日:9月10日(水)

目次

和歌山の梅

和歌山県は「梅」の収穫量が全国一であり、令和6年度の都道府県別収穫量割合では和歌山県が58%と半分以上を占めているとのこと。

中でも県南部に位置するみなべ町及び田辺市の一帯は、県内で最も梅の生産が盛んな地域であり、全国的に知られるブランド梅「南高梅」はみなべ町が発祥地。

梅は原産国中国から遣隋使や遣唐使によって日本に伝えられたといわれており、小野妹子が持ち帰ったとされる「鳥梅」は今でも漢方として用いられています。

平安時代には医療の分野で用いられたそうで、日本最古の医学書「医心方」でも梅干の効能が紹介されており、村上天皇が病気を治癒されたといわれる「申年の梅」は現在も縁起の良い食べ物として珍重されています。

鎌倉時代には禅宗の僧侶を通じて武家に広がり、武家ではもてなし料理として膳に添えられたそうです。

戦国時代には日持ちの良い携帯食・特効薬として用いられ、江戸時代には大晦日やお正月に庶民の食卓にも並ぶようになり、この頃にはシソ漬けの梅干が登場。

和歌山県では江戸時代前期に田辺藩主・安藤帯刀公によって「やぶ梅」の栽培が奨められ、紀州田辺産の梅が江戸に送られると有名になり、その後も軍隊の常備食として需要が増加。

そんな時代を読み、梅畑経営に乗り出した内中源蔵翁は、生産から加工までを一手に行うシステムを確立し、みなべの梅栽培を大きく発展させたとのこと。

明治35年には高田貞楠さんが一本の優良品種を発見し、これを母樹として「高田梅」の基礎を作り、後に品種選定がなされ「南高」として種苗名称登録。

「南高」は高田さんの名と品種選定をした先生が勤める県立南部高校を記念して名付けられたそうです。

みなべ・田辺の梅栽培は急斜面を活かし、山頂近くに炭の原木となる薪炭林、中腹に梅林を開墾。

これによって薪炭林は雨水を吸収して山崩れを防ぎ、山に生息するニホンミツバチは梅の受粉を助け、梅林の草は土壌流出を防ぎ、刈って肥料にも活用。

こうして「梅栽培」と最高級炭の「紀州備長炭」は地域の基幹産業となり、400年以上続く続く画期的な農法と、梅産業から広がる文化・景観が評価され、2015年12月に「みなべ・田辺の梅システム」として世界農業遺産に認定されています。

現在栽培されている梅の品種は、大粒で梅干し・梅酒・梅シロップ・梅ジャムと全般的に使用できる「南高梅」が大半を占めるそうですが、他にも大梅の中では収穫時期が早く”青いダイヤ”とも称される「古城梅」、小梅の「白王」、「紅王」、「衣笠」、「パープルクィーン」など、様々な品種が栽培されているとのこと。

紀州梅干館

今回訪れたのは、和歌山県みなべ町の国道42号線沿いにある『紀州梅干館』。

こちらは昭和17年(1942年)に創業し、梅干し・梅酒・梅加工食品の製造を行っている「株式会社ウメタ」の本社兼製造直売店。

梅酒・梅干し・梅ジュース作り体験(前日までの予約制)、無料の工場見学、お得なアウトレット品や試食コーナーが充実した売店など、魅力満載の施設になっています。

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