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江戸末期創業の歴史ある3色団子『言問団子(ことといだんご)』!【言問団子】(東京都墨田区)

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本記事の内容は、確認時点(訪問日・更新日等)の情報に基づいています。メニュー構成や価格、営業時間、定休日などは変更される場合があります。最新の状況は店舗公式サイトやSNS、または直接の問い合わせでご確認ください。

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訪問日:2022年5月7日(土)

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言問団子

東京都墨田区の向島にある、江戸末期創業という老舗和菓子店『言問団子(ことといだんご)』。

看板商品である『言問団子』は、在原業平朝巨が東国を旅した時に読んだ和歌より名付けたお団子。

お米の粉を餅状にして小豆餡と白餡で包んだ団子と、白玉粉を餅状にしたものをクチナシよりとった色粉で青黄色にして中にみそ餡を入れたもの、3種類がセットになっており、串にささず皿にのせて提供されるのが特徴。

お店の前に詳しい説明があり、内容は以下のとおり。

 江戸後期、向島で植木屋を営んでいた外山佐吉(初代)は、文人墨客に手製の団子を振舞う「植佐」という団子屋を開くと、花見客や渡船客の間でも人気となった。
 明治元年、長命寺に逗留していた歌人の花城翁より、在原業平が詠んだ「名にしおはゞ いざ言問はん都鳥 我が想ふ人はありやなしやと」に因んだ命名の勧めを受けた佐吉は、「言問団子」と名づけ、業平神社を建て、都鳥が飛び交うこの辺りを「言問ヶ岡」と呼んだ。明治11年、佐吉が始めた灯籠流しによりその名は広く知られていった。後に「言問」は、言問橋や言問通りなどの名称で定着したが、ルーツは「言問団子」である。
 また、この裏手にある桟橋からは、明治26年3月20日千島開拓に向かう郡司大尉率いる5艘の端艇が出発している。隅田川両岸はこれを憂国の壮挙と称える群衆で埋まり、花火が打ち上げられ、歓呼の声と楽隊の演奏が響く中での船出であった。この時、大尉の弟、幸田露伴はこれに同乗して横須賀まで見送っている。

向島の辺りは言問団子以外にも、「長命寺桜もち 山本や」、「志”満ん草餅」など老舗の名店が集まっているので、今回は和菓子を3軒食べ歩き。

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