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オリジナルの『生からすみちゃんぽん』をはじめ、水餃子や炒飯も絶品!【老李 台湾居酒屋 駅前店】(長崎県長崎市)

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訪問日:2024年2月10日(土)

目次

長崎ちゃんぽんとは

長崎といえば真っ先に浮かぶといっても過言ではないほど、定番中の定番の名物として全国的に知られている麺料理「ちゃんぽん」。

発祥の歴史については諸説あるそうですが、通説となっているのは、長崎市に現存する明治32年(1899年)創業の老舗中華料理店「四海樓(しかいろう)」の初代である陳平順氏が生みの親であるという説。

陳平順氏は明治25年にこうもり傘一本だけを持って福建省福州から長崎へ渡り、日清戦争を機に華僑に対する風当たりが強くなる中、行商などをしながら無心で働き、苦労しながら資金を貯えて「四海樓」を創業。

「ちゃんぽん」は長崎に来ていた中国人留学生のために、安くてボリュームがあり、栄養価が高いものを食べさせようと考案された料理で、ルーツになったのは「湯肉絲麺(とんにいしいめん)」という福建料理。

「湯肉絲麺」は豚肉、椎茸、筍、ネギなどを入れたあっさりしたスープの麺料理で、これをより濃いめのスープ、豊富な具、独自のコシのある麺を合わせて日本風にアレンジしたものが「ちゃんぽん」。

当時は「支那うどん」と名付けられていたそうですが、「ちゃんぽん」と呼ばれるようになったのは明治後期頃~大正時代になってからで、名付け親については定かではないようです。

由来については以下のように諸説あるといわれています。

○福建語に「吃飯(シャポン又はセッポンと発音する)」という「ご飯を食べる」という意味の言葉があり、それが訛って「ちゃんぽん」になったという説。

○様々なものを混ぜる・混合するという意味の言葉「ちゃんぽん」が由来という説

○中国の鉦(かね)のチャンと日本の鼓(つづみ)のポンを合わせて「ちゃんぽん」と言ったという説

○江戸時代に既に「ちゃんぽん」という言葉があったという説

また「四海樓発祥説」の他に有名な説としては、明治初年に既に長崎人の本吉某が長崎市丸山で支那うどんを「ちゃんぽん」の名で売り出していたといわれており、「勝海舟が丸山でちゃんぽんを食べとても喜んだ」と語り継がれているとのこと。

「ちゃんぽん」は発祥以降、中華鍋一つで作れる美味しくて栄養たっぷりな麺料理として、長崎県内をはじめ他県の飲食店でも提供されるようになり、全国的に知られる存在に。

長崎の他にも佐賀、福岡、熊本、愛媛、滋賀、秋田など、具材や麺の違いや、和風、あんかけといった、様々な個性を持ったご当地ちゃんぽんが誕生しています。

長崎のものは「長崎ちゃんぽん」として独自の特徴があり、スープは豚骨・鶏ガラ主体の濃いめで、具材は自由ですが、一般的には豚肉と長崎特有のはんぺん(紅白かまぼこ)に、キャベツ、ネギ、モヤシといった野菜類、イカ、エビ、貝といった魚介類などが入ります。

調理法として特殊なのは、麺をスープで煮こむために中華鍋一つで調理が可能で、麺は「唐あく」と呼ばれる長崎独特のかん水で製麺したものが使用されます。

老李 台湾居酒屋 駅前店

今回訪れたお店は、長崎県長崎市、長崎駅前にある台湾料理店『老李(ラオリー) 台湾居酒屋 駅前店』。

こちらは長崎市を中心に店舗を展開している「老李グループ」のお店。

公式サイトの沿革によると、創業者は1963年に「台湾料理」を日本に伝えるため、当時新館オープンで人気も高く注目されていた中華料理店「東亜閣」の総料理長として長崎へ来たそうです。

その後長崎市鍛冶屋町に「李唐苑」というお店をオープンした1980年が「老李グループ」の創業年で、1995年には思案橋に進出し「餃子大王 李軒」をオープン。

『老李』という店名のお店は1997年にオープンした長崎駅前店が最初のようで、2025年1月に公式サイトを確認した時点で、グループ店は長崎市内に7店舗、東京の日本橋に1店舗あるようでした。

私は2020年に「長崎中華街 総本店」に行ったことがありますが、オリジナルの「生からすみちゃんぽん」が絶品で、また必ず再訪したいお気に入りのお店になりました。

こちらのお店ではにんにく・ニラを一切使用せず古来の製法で作る「水餃子」が看板メニューなので、今回はちゃんぽんと共に「水餃子」も目当てに再訪。

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この記事を書いた人

日本全国を巡り、ご当地グルメや郷土料理、名産を活かした料理を中心に食べ歩いています。
こちらのブログではお店の情報や味の感想だけでなく、ご当地グルメや郷土料理の特徴・歴史についても詳しく解説しております。

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