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桜井名物!カラフルな『三輪そうめん』が楽しめる人気の食事処!【千寿亭】(奈良県桜井市)

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名物・ご当地グルメ・郷土料理を取り上げる記事では、その名物の特徴や歴史を詳しく解説しております。

本記事の内容は、確認時点(訪問日・更新日等)の情報に基づいています。メニュー構成や価格、営業時間、定休日などは変更される場合があります。最新の状況は店舗公式サイトやSNS、または直接の問い合わせでご確認ください。

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訪問日:2025年6月2日(月)

目次

三輪素麺とは

奈良県桜井市を代表する名物「三輪素麺(みわそうめん)」。

そうめんが有名な地域は播州(兵庫)、小豆島(香川)、島原(長崎)、半田(徳島)など日本各地にありますが、発祥の地は奈良県桜井市が有力な説といわれています。

三輪にある日本最古の神社「大神(おおみわ)神社」には、今からおよそ1200年余り前、大神神社の第12代宮司の次男穀主朝臣が三輪の里に小麦の種を撒き、実った小麦で初めてそうめんを作り、飢饉に苦しむ人々を救ったという伝説があるとのこと。

今でも大神神社祭神は素麺の守護神とされており、その年の三輪素麺の卸値を占う祭典「卜定祭(ぼくじょうさい)」が大神神社で営まれています。

そうめんは奈良時代に唐から伝来した唐菓子の一つ「索餅(さくべい)」が原形といわれており、これは小麦粉をこねて細長くし、縄のようによじったもの。

鎌倉時代になると中国から碾臼が入ったことから製粉技術が向上し、油を使って麺を伸ばす製法が取り入れられ、現在のような細くて長い形状になり、室町時代の頃にはほぼ製法が完成して「素麺(そうめん)」という呼び名に変わっていったとのこと。

江戸時代になると大神神社の門前町だった三輪はお伊勢参りの宿場として栄えるようになり、「三輪素麺」は訪れた人々を魅了し、当時の各地の名産品を紹介した書物「日本山海名物図会」において「三輪素麺は日本一」と絶賛されているそうです。

桜井市では長年伝統的な製法が受け継がれてきた地域ブランドである「三輪素麺」の普及などを目的とした「桜井市三輪素麺の普及の促進に関する条例」を制定。

平成28年3月29日には「三輪素麺」のブランド力向上のため、その地域ならではの自然的、人文的、社会的な要因の中で育まれてきた品質、社会的評価等の特性を有する産品の名称を、地域の知的財産として保護する国の制度「地理的表示保護制度(GI)」にも登録されています。

桜井市にはそうめん料理の人気店が数多くあり、夏は「冷やしそうめん」、冬は「にゅうめん」として年間を通してそうめんを食べる食文化が根付いているとのこと。

「にゅうめん」はそうめんを温かい出汁で食べる料理で「煮麺」が訛った呼び名と考えられており、こちらも奈良県発祥といわれています。

またパスタ風や焼きそば風などそうめんを使ったアレンジレシピも考案され、様々な料理で食べられています。

千寿亭

今回訪れたのは、奈良県桜井市の国道169号線沿いにあるお店『千寿亭』。

こちらは嘉永3年(1850年)に創業したそうめん一筋の老舗「株式会社 池利」が直営する食事処。

三輪に来られる方においしい三輪そうめんを食べて頂きたいという想いから、4代目が昭和55年(1980年)にオープンしたそうです。

冷しそうめんをはじめ、にゅうめんや会席風お膳など様々な形でそうめんを提供しており、「柿の葉寿司」や「かしわのすき焼き」、「わらび餅」など、奈良の郷土料理も楽しめます。

「株式会社 池利」ではカラフルな色鉛筆をヒントに考案した「色撫子」など、業界に先駆けて開発した色とりどりのそうめんを販売しており、伝統を受け継ぎながら独自の麺文化を提案していることが特徴。

『千寿亭』でもカラフルなそうめんを提供しているので、三輪そうめんの食事処の中でも特に惹かれたお店、今回初訪問です。

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