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わらび粉を贅沢に使った山口名物『外郎(ういろう)』の人気店!【田原屋 本店】(山口県山口市)

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訪問日:2024年2月24日(土)

目次

山口名物「外郎(ういろう)」

一般的には名古屋名物の代名詞として全国的に知られている和菓子「外郎(ういろう)」。

他にも神奈川(小田原)、京都、山口、三重(伊勢)、徳島、宮崎(青島)など、様々な地域で名物になっています。

原材料や製法、味、食感、見た目は製品や地域によって様々なものが存在するようですが、例えば名古屋のういろうは、米粉と砂糖を主原料に蒸して仕上げるお菓子で、モッチリとした食感とズッシリとした重量感が特徴。

発祥の歴史としては室町時代に遡るそうで、以下の2説が通説になっているとのこと。

○元の国の礼部員外郎職(薬を扱う職)だった陳延祐が日本に亡命した際、博多に伝えた痰止めの秘薬「透頂香」の別名が「外郎」であり、黒砂糖を使ったお菓子がこれに似ていることから「外郎」と呼ばれるようになったという説

○陳延祐の子、宗奇が足利義満の招請で上洛して外郎薬を献上した際、口直しに添えた菓子が由来という説

発祥の地は名古屋ではなく、外郎家初代となる陳延祐の在住した「博多」か、2代目宗奇が在住した「京都」のどちらかと考えられているそうです。

全国的に名古屋名物として知られるようになったのは、「青柳総本家」が名古屋駅の構内とプラットホームでういろうの立ち売りを始め、東海道新幹線が開通した後に全列車内での車内販売を行ったことがきっかけだそうです。

山口県の「外郎」は他県のものとは異なり、わらび粉が使われることが特徴で、ブルブルとした弾力とモチモチとした食感を兼ねた唯一無二の味わい。

その歴史については定かではないようで、以下のような説があるといわれています。

○室町時代に周防山口の秋津治郎作が現在の製法を考案したという説

○室町後期に当時中国大陸と盛んに交易を行っていた大内氏の「遣明船」により伝わったという説

史実として確認できる最古のものでは、承応3年(1654年)に萩藩が国目付を饗応した献立の中に外郎が登場することから、少なくとも江戸時代初期には山口に存在していたと考えられているとのこと。

現在の山口外郎の元祖といわれているお店は、山口市大内御堀の萩往還沿いで江戸時代から外郎屋を営んでいたという「福田屋」。

萩藩から重用され、明治維新後も地元の人々や来訪者に愛されたお店であり、中原中也もよく食べていたといわれていますが、「福田屋」は太平洋戦争で後継者をなくし廃業したとのこと。

その後は福田屋の職人だった方が「御堀堂」というお店を開いたり、福田屋の主人に外郎づくりの秘法を教わった方が「豆子郎」というお店を開くなど、山口外郎の味は現在まで受け継がれているそうです。

田原屋

今回訪れたお店が、山口県山口市の大内御堀に本店を構える、昔ながらの手作りにこだわった外郎専門店『田原屋(たはらや)』。

創業は2003年9月という情報が出てきました。

2025年1月に確認した時点で、食べログスイーツランキング(洋菓子店・和菓子店・外郎専門店なども含めた全て)で山口県内1位という人気店。

私は以前2017年に行ったことがありますが、当時外郎を何軒か食べ比べた中では一番好みだったお店です。

今回は前回未食である予約限定商品、わらび粉を贅沢に使った「田原屋外郎」目当てに再訪。

店舗は山口市内に「本店」と「泉店」があり、今回は『本店』に行ってきました。

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日本全国を巡り、ご当地グルメや郷土料理、名産を活かした料理を中心に食べ歩いています。
こちらのブログではお店の情報や味の感想だけでなく、ご当地グルメや郷土料理の特徴・歴史についても詳しく解説しております。

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