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名物『仙台牛タン焼き』発祥の店!相変わらずの美味しさに感動!【味太助 本店】(宮城県仙台市)

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訪問日:2024年3月20日(水)

目次

仙台牛タン焼きとは

ずんだ餅・笹かまに並び、宮城県仙台市の三大名物の一つといわれる「仙台牛タン焼き」。

仙台牛タン焼きは、牛タン焼きと、麦飯、テールスープ、浅漬け、 南蛮味噌(青唐辛子の味噌漬け)と共に、定食スタイルで提供されるのが大きな特徴。

牛タンは先端部分(タン先)と裏側(タン下)などの固い部位を除いた部分を厚切りにし、塩味やタレをつけて熟成させたものを炭火等で焼き、一般的に焼肉のタン塩では定番のレモン汁はつけません。

その歴史については平成14年2月に結成された「仙台牛たん振興会」より公式サイトとして認定されている「仙台牛タウン」に詳しく書いてありました。

仙台牛タン焼きの誕生は昭和20年代、終戦直後の混乱期で仙台市内は失業者であふれ、町のあちこちで戦争未亡人が飲食店を開いていたそうですが、手軽に開業できる焼き鳥屋は特に人気だったそうです。

牛タン焼きの生みの親という「太助」の初代店主である佐野啓四郎氏も、当時は和食の職人として焼き鳥中心の飲食店を経営。

食糧難ということもあって、鶏肉だけではなく豚肉や牛肉など様々な素材を焼き料理として出していたそうですが、調理方法が簡単なのでヒット商品を出しても周りのお店に次々と真似されてしまうため、誰にも真似のできない自分だけの食材を探し、洋食屋を経営していた親友の小野氏へ相談したところ、牛タンを使うことを提案されたそうです。

小野氏の知り合いの洋食屋に行き、タンシチューを食べて美味しさに驚いたことから牛タンの魅力に惹かれたものの、手間がかかることから試行錯誤し、昭和23年(1948年)頃に切り身にして塩味で寝かせて焼くという現在の牛タン焼きの原型が完成。

仙台牛タン焼きの歴史は他にも有名な説があり、第二次世界大戦後に仙台に駐留してたアメリカ兵が大量に消費する牛肉の余剰部分であるタンやテールを有効活用し、佐野啓四郎氏が牛タン焼きの専門店を開業したことが始まりという「米軍残り物説」。

当時のアメリカ進駐軍はアメリカ本土から牛肉を解体したものを輸入していたため、牛タン自体はほとんど輸入されていなかったと「仙台牛たん振興会」では「米軍残り物説」を否定しています。

しかしWikipediaには佐野氏はむしろ公式見解として認めており、自信のある元祖とイメージダウンを嫌う新規参入業者との間で見解の相違が生じていると書いてありました。

こういった説が生まれたのには、仙台の牛タン焼きは仙台牛などの国産よりも、殆どがアメリカ産やオーストラリア産といった輸入物が中心であることも関係しているようです。

「仙台牛タウン」には佐野啓四郎氏のすすめから「太助」で修業をし、後に「旨味太助」というお店を開いた娘婿である佐野八勇氏を取材した内容も掲載されていました。

そこでは牛タン焼きの誕生の背景については「仙台牛タウン」に書いてある内容の通りであり、戦後しばらくは牛タンを確保するのが大変だったため、仙台や山形県内の食肉加工場を回って手に入れたとのこと。

その後進駐軍向けに牛肉の扱いが増えたことから、オーストラリア産を輸入するようになったという流れが書いてありました。

その後も現在に至るまで輸入品が中心になっているのは、国産は一頭買いが多いため部位買いが困難であること、単価が安いことなどが理由としてよく挙げられています。

輸入物では牧草飼育が中心でかたい肉質になりやすいオーストラリア産より、穀物飼育が中心で適度に脂肪が付いて柔らかいアメリカ産の方が人気のようです。

牛タン焼きが仙台名物になったのは、1982年頃に商工会議所と県と市の観光課の人から「牛タンを仙台名物として売り出したい」という提案があったことから、テレビや雑誌、新聞などで紹介され、一気に全国に知られるようになったようです。

また、仙台の牛タン焼きが定食スタイルになったのは、当時の日本人の食生活に合わせて定食屋の一汁三菜型にならったこと、「麦飯」は当時米不足であり栄養価も高いこと、「浅漬け」は電気冷蔵庫が無かったため保存性が高かったこと、「南蛮味噌」は佐野氏の出身地である山形県の伝統料理であったこと、炭火焼なのは都市ガスが一般化していなかったこと、などが理由といわれています。

「味太助」と「旨味太助」

佐野啓四郎氏が開いた「太助」という屋号は、戦後間もない治安が悪い時代に、くせの悪い酔っ払いやケンカのたびに戦争未亡人が男気のある佐野氏に助けを求めていたそうで、屋号を決める際に保健所の方から「一心太助(いっしんたすけ)にしたらどうか?」と提案され、最初の「一心」の部分だけを消して「太助」と命名したそうです。

佐野啓四郎氏は平成6年(1994年)に他界したため、現在は長男の佐野和男氏が「味太助」という屋号で「牛タン焼発祥の店」を掲げて営業しています。

「味太助」は「旨味太助」のことを現在でも分店として公式サイトに掲載していますが、「旨味太助」では「味太助」はかつて姉妹店として営業していたものの、諸般の実情から一切関係がなくなったという記載がありました。

なんだかややこしい背景がありそうですね。笑

私はどちらのお店も行ったことがありますが、前回2021年に「旨味太助」に行ってきたので、2017年ぶりに『味太助』へ訪問。

アクセス

場所は地下鉄勾当台公園駅から徒歩3分、地下鉄広瀬駅から徒歩5分くらいの距離。

駐車場は近隣コインパーキングを利用。

混雑状況

この日は祝日の水曜日、お店には14時20分頃に訪問。

この時先客は2人のみで空いていました。

メニュー・商品ラインナップ

メニューはとてもシンプル、もちろん定番の『定食 一人前(三枚)』を注文!

それにしても前回の2017年は1800円、2024年の現在は2500円とだいぶ値上がりましたね。。。笑

感想

【定食 一人前(三枚)】2500円(税込)

内訳は牛タン焼、テールスープ、麦飯、青菜の漬物、南蛮味噌、これぞ「仙台牛タン焼き」という王道の定食スタイル。

牛タン焼は塩・コショウで味付けして一晩寝かせ、スライスした一枚一枚に食べやすいよう包丁で表面だけをそっと切り込み筋を入れ、炭火で焼き上げているとのこと。

プリプリした弾力と適度な歯応えがあり、絶妙な噛み切りやすさ。

香ばしくて塩加減も素晴らしく、ご飯が進みつつ、肉の旨味を引き立てる素晴らしいバランス。

南蛮味噌は激辛ですが、こちらもご飯との相性は抜群。

テールスープはかなり優しめの味付けで、甘さとコクがある牛ならではの旨味をストレートに楽しめます。

テールはゴロッと大きいのが3個入っていて、プリッと柔らかでこってりした味わい。

「味太助」と「旨味太助」、両方食べ比べても個人的には味でどちらの方が上という大きな差は感じず、「旨味太助」の方が若干値段が安めなので、満足度では「旨味太助」の方が上回っているかも?という感じです。

しかし、まだまだ牛タン焼のお店はそんなに巡れていないものの、「味太助」と「旨味太助」の両店が今まで食べた中でトップクラスにお気に入り。

焼肉で食べるのとはまた異なる、独特な魅力がたまらない「仙台牛タン焼き」。

これからもどんどん色んなお店で食べ比べを楽しみたいですね。

ご馳走様でした!

公式サイト等

公式サイト

https://www.aji-tasuke.co.jp

食べログ

味太助 本店

022-225-4641

宮城県仙台市青葉区一番町4-4-13 

https://tabelog.com/miyagi/A0401/A040101/4000048

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この記事を書いた人

日本全国で食べ歩き旅行を楽しんでいます。
特にご当地グルメや郷土料理、名産を活かした料理の提供店を中心に巡っています。
こちらのブログではお店についてや味の感想だけでなく、ご当地グルメや郷土料理の特徴・歴史についての情報も詳しく解説しております。

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